「鉄道の日記念切符」で北日本一周 (part2)



2日目(10月18日)

1.予想外の列車の遅れ

 朝、目覚めると、雨は降っていなかった。台風は通過したものだと思っていたが、実際は違って、たった今通過したという情報であった。6時45分発の酒田行きの普通に乗れるかどうか不安だった。そして、6時半頃に新発田駅へ向かった。この時間の新発田駅は、静かであった。

そして、新潟から白新線で来た普通列車が定刻に終点の新発田駅に到着したのを見て、少し安心した。だが、6時45分を過ぎても、羽越本線から来る列車はこなかった。そこで、駅員に聞くと、貨物列車が通過するまでは、酒田行きの普通は来ない。と、また他の駅員に聞くと、まだ、寝台特急の「日本海」が来ていないという。

とっくに通りすぎている時間なのに、これは予定が狂うなぁと、すでに心の中ではそう思っていた。この時点で、青森の地を踏む事は出来ないのだろうと考えて、田沢湖線や奥羽本線で太平洋側へ行こうと考えていた。やはり、羽越本線は運休状態になっていた。どうやら、「日本海」が立ち往生しているという情報であった。そのため、新津行きの列車も発車できずにいた。

羽越本線からの列車は来ず、7時31分、白新線からロングシートのE127系の通勤電車の村上行き普通が到着し、これに乗って一応、村上に行くことにした。半ば、何とかなるのであろうと思って…、やはり、電車は速かった。約40分ほどで、村上に到着。



2.村上駅での出来事

 しかし、ここにきても、先の列車は10時を過ぎないとなかった。例の酒田行きの普通は、強風のために動けないと伝えていた。これで、青森行きは絶望的に見えたのだが、ふと、時間表を見ると、9時半頃に特急「いなほ」青森行きがある事に気づいた。そして、時刻表をチェックしてみると、なんと、特急に乗ると、予定より、早く青森に着けることが判明して、即決となった。

約1万円の出費だが、仕方がなかった。そして、「いなほ」は定刻に運転しているという情報を聞いた。これで、台風は去っているから、遅れや運休はないと確信して、青森行きが決定した。指定席は満席の為に購入出来ず、自由席にした。指定席が満席と聞いたときは、正直座れないだろうと思っていた。しかし、駅員の話では、村上駅では、たくさんの人が自由席から降りていきます。と言っていたが、どうなのであろうか…。

そして、例の酒田行きの普通は、車両故障の為に運休となってしまい、電光板から消えた。そして、9時過ぎに、10時41分発の酒田行きの普通が早く着くと言い出した。あわてて、払い戻しに行こうとしてしまったが、「いなほ」は関係ないといわれ、一安心した。



3.「いなほ」の快適な旅

 そして、定刻より3分ほど遅れて、「いなほ」は到着した。485系の特急車だった。いざ、一番後ろの自由席に乗り込むと…なんと、ガラガラであった。全くと言っていいほど、人がいなかった。これは、ラッキーであった。これで、青森までの約5時間半は快適に過ごせるのである。リクライニングを倒し、くつろいでくると、車掌が来た。切符を見せようと準備をしていると、そそくさと通りすぎてしまった。結局、最後の青森駅まで車内改札はしなかった。こんな事なら、確実にタダ乗り出来たのに…。と思うほどであった。

村上を出て、しばらくすると、海岸沿いに出た。天気は曇りで、波も台風のおかげで高かった。リクライニングを倒しながらの、車窓風景は最高であった。しかも、ワンボックス状態とくれば、485系でも乗り心地は合格である。と言っても、ワンボックス状態だからこそ合格である。普通なら不合格の乗り心地である。府屋を出て、新潟県から山形県に入っても、海ばかり見える状態であった。笹川の流れを通過して、あつみ温泉に到着しても、あまり降りる客はいなかった。温泉帰りの客も1組だけしか乗り込んでこなかった。このままの状態で行くのであろうか?鶴岡や酒田のあたりで、かなりの乗車があるのだろうと考えた。鶴岡の近くに来ると、いったん海から離れて内陸沿いを通る。田んぼや畑の真ん中を走る。鶴岡、余目、酒田と小刻みに停車していくが、降りる人のほうが多かった。乗り込んでくる客は、ほとんどいなかった。

酒田を出ると、また海岸沿いを走るようになった。このあたりにきても、まだ、波が高かった。しばらく車窓を眺めていると、車内販売が来た。ちょうど、お昼時に差し掛かっていたので、購入した。一時、座席を戻して、テーブルを出し、急いでかき込んで、また、4席状態に戻した。しかし、一向に客が増えないのが、これまた良かった。

秋田に到着しても、乗り込んでくる客は、意外にも少なかった。一番後ろに乗っているからなのだろうか?秋田駅では、新幹線ホームにE3系が停車していたので、シャッターを切った。5分ほど停車して、発車した。もう後半戦である。あと、2時間半で快適な特急の旅が終わる。

秋田を過ぎると、海は見えなくなり、田園地帯を走るようになった。乗車率はワンボックスに一人という値であった。少々寂しい気がするが、この方がかえって快適である。いつのまにか、JRの乗務員が乗り込んできて、仮眠していたのには、驚いてしまった。しかも、ワンボックス状態にして寝ているではないか…。空いているから、このような事が出来るのであろう。

八郎潟を通り過ぎた。湖を埋め立てたこの地区は、田んぼばかりの世界だった。時々小屋みたいなものが見えた。東能代、大館、弘前と停車しても乗り込む客は、まったくいなかった。台風の影響で、このような低い乗車率になったのであろうか?だとしたら、違った意味でラッキーであった。

楽しく、快適な特急の旅も青森についてしまえば、現実の鈍行列車の旅が待っているのである。しかも、701系のロングシート。日本海側では、ロングシートの701系地獄を485系特急で逃れたが、今度はそうはいかない。

15時を過ぎて、もうすでに青森駅が近づいてきた。青森の車両区が見え始めると、大きなベイブリッジが見えてきた。やっと、本州の果てに到着したのだ。15時13分定刻通りの青森到着であった。


4.地獄の東北本線

 まだ、盛岡行きの普通列車には、時間があったので、駅を出て、ベイブリッジをバックにカメラ撮影。そして、青森にきた証拠の品を買う事にした。しかし、よくみると、台風一過で天気が良くなっていた。これなら、遅れなどの心配はもうなさそうだ。

みやげ物を買い、安心してホームに向かうと、すでに盛岡行きの701系は停まっていた。しかも、2両編成で、満員であった。なぜか、日曜日なのに、高校生の制服姿がいっぱいであった。文化祭か何かであろうか…。電車は大混雑をしていた。これでは、2両では足りないぞ、と思うくらいであった。

浅虫温泉のあたりだと、海が見えるのだが、立っていたので、苦痛の姿で見る羽目になってしまった。ここを離れると、常磐線まで海はおあずけの状態である。大湊線の乗換駅野辺地に着く頃には、なんとか、席に座ることが出来た。しかし、相変わらずの混雑であった。特急が止まる三沢駅あたりでも、かなりの下車があるかと思ったが、あまり変化がなく、八戸に着いて、やっとたくさんの下車客が出て、一気に空いた。

ここ八戸で長時間停車だ。18時に近く、停車時間も長かったので、駅弁を調達。しかし、ロングシートの車内で食べるのには、勇気が必要であった。485系のボロ「はつかり」が先に出発した。リニューアル車ではなく、国鉄色の本当のボロだった。そして、八戸線からの乗客が乗り込んできた。しかも、かなり乗ってきて、また混雑してしまった。

すでに闇の中のため、ここは、目を閉じて通過していく事にした。青森岩手県境に来ると、やっと乗客の数も減り、安心感が増す。ここまできても青森から乗りとおしている人がいる事に気づいた。これには、驚いた、しかもそれが、若い女性であった。約4時間…。長かった。「はつかり」なら、2時間で行けるのに、倍の時間である。


5.魔の地域…一ノ関

 定刻に盛岡に到着。すぐに一ノ関行きの701系の普通に乗り換えた。すでに、入線していて、半分くらいが埋まっていた。今日最後の電車である。発車時間が近づくと、かなりの乗客が乗り込んできた。しかも、また満員となった。20時02分定刻に発車した。701系は、確かに485系に比べて加減速は良かった。花巻、北上あたりまで来ると、やっと乗客の数が減り始めて、静かにすごす事が出来た。

しかし、闇の中のため、全く景色が見えるはずがなかった。しかし、701系に乗っていると、外はローカル、車内は都会的と言う印象があった。これでは、意に反している車両ではなかろうか…。そして、21時37分一ノ関に到着した。すぐに宿へ向かう事にした。

これは、忘れもしない、「ホテル花や」…、場所がわからずに、まずは、電話。すると、シティホテルの裏側にあると言う事で、早速行って見る事に…。一ノ関シティホテルは立派に見えていた。多分これに準ずるホテルであるだろうと内心は思っていた。しかし…。裏側を見ると、今にも壊れそうな建物をしたのを発見。こことは違うだろうと思い、通りすぎようとしたが…。名前が「ホテル花や」となっているではないか!やられてしまった…。

いまさら断ることも出来ず、恐る恐る中に入ることにした。やはり、戦後まもない建物であった。あちこちが木で出来ていて、かなり痛んでいた。しかも値段は忘れもしない6800円。これなら、少しだけ高い、隣のシティホテルにすれば良かったと大後悔。

部屋に入ると、蛍光灯一本だけの明かり、そして、クーラーはなし。ベッドもボロイ。机はボロボロ。そして、バス・トイレは共同と言う最悪この上なかった。まるで、筆者の大学の宿泊施設を超えるのではなかろうか…。

真っ暗にして寝るのが怖かったので、テレビをつけっぱなしにして、寝ることにした。しかし、真夜中になり、ふと目がさめた。駅前で暴走族がウロウロしていたのであった。うるさくて眠れなかった。これも、またまた屈辱的であった。






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